監査人チューター(仮)

僕はよく、特にバイトで受験指導をしているときなんかはそうなんだけど、相手の期待以上の働きをしたいと考えてしまう。所詮生徒がチューターなんて存在に求めてるものはたかが知れてるんだけど、それを超えた働きをしたいと思ってしまう。そうした結果、今年の生徒たちにはすごく感謝された。特にたくさん面倒を見てきた子達には、本当にたくさんの感謝の言葉をもらった。それに加えて「こんないいチューターなんて他にはいないよ!」とか、そりゃまぁ嬉しい限りの言葉まで貰ったりなんかして。これ以上のことはない。
さて、一度このことはおいておいて、今日の監査論第一回目の授業で習ったことをちょろっと。
財務諸表監査においては「二重責任の原則」というものがありまして。具体的には経営者の財務諸表作成責任と監査人の監査意見の表明責任というもので、両者は区別しなければならないというもの。ここで、財務諸表監査の本質的機能の一つとして、利害関係者保護というものがある。しかし、利害関係者はさらに有用な情報の提供を求めるため、財務諸表監査の補足的機能として情報提供機能がある。ただし、ここで監査人によるむやみな情報提供機能は、先の二重責任の原則に抵触するおそれがあるため、ある程度の範囲におさめなければならない*1
要するに、監査人の仕事は監査をすることであって、情報提供はその本質的役割を逸脱してしまってはよろしくないよ、みたいなことです。
さてここで話は戻るんですが、果たして僕が相手の期待以上に働くことは本当にいいことなのだろうか。確かにそうすることで感謝という最高の見返りを得られるし、僕の哲学としてそうゆう想いで取り組んできた。「誠意をこめて接すれば必ず感謝される」ってそれは今でも思ってるし、その誠意を込めて接するというのが、ただ単なる入試問題に関する質問対応だとかちょっとした受験相談とかにとどまらず、もっと大きな視点で物事を教えたり、受験だけじゃなくていろんな相談事に耳を傾けるとかということであるという考えも変わっていない。そういった意味においては今振り返っても僕がしてきたことというのは間違ってなかったと思う。実際こうやってたくさんの感謝の言葉とかもらったわけだし。
しかし、考えるべきはそれだけか、と。自分が得られるものを得られればそれでいいのか、と。というのも、僕が負える責任というものは限られているわけで。僕の仕事、チューターの限界があるわけで、僕がその限界を超える範囲でなした事に関して責任は負えるのか、という話で。今年はたまたまなんてこともなく無事に一年が過ぎたんだけど、とはいってもやはり深く突っ込みすぎたことで多少トラブル染みたことがなかったわけではない。よく考えてみれば自分のしてきたことはそれなりにリスクのあることだったわけだ。そして自分がそれを認識していたかと言えば、今更こんなことを書いていることからわかるとおり、認識していなかった。
その、わざわざ監査の話を出したのはこれを言いたかっただけで、要するに、相手が望んでいるからと言って必ずしもそれを満たすことがいいことは限らないということ。そこには時と場合によってはリスクというものがつきまとうし、自分の責任というものを明らかにしなければならない。
僕が問題としているのは別に二重責任の原則とかそんな仰々しいものではないけれども、その根底で相通ずるものがあると思いまして。まだ自分の中で確たる答えがでたわけではないんですが、たとえ人に感謝される行為であっても無批判的に良いと言えるわけではない、ということを感じたわけです。人間は社会的な生き物であるからして他者との関係性、殊信頼関係が大事、ありがとうの関係がすごく大事。だけどもそれと同時に、社会的な生き物であるからして、社会的責任というものも同時に考えなくてはならないんだなぁ、と感じたのでした。

*1:かなーりざっくりなのでわかりにくいと思いますが、まぁそこはご容赦ください