衆議院解散について

どうやら野党が13日にも不信任案を提出する方向で動いているそうですね。僕は政治についても興味があっていろいろ思うところはあるのですが、政治的な意見を記事にするのって結構難しいことなので今まではあまり書きませんでした。(探せばたまに書いた記事はあると思いますが)
しかしこの衆議院解散については、片山善博先生の政治学の授業で非常に重要なことを習ったので、今日は是非そのことについて書いてみたいと思います。意外に知られていない事実ですが、これは知るべきことだと思うんです。
以下、その時の片山先生のレジュメを参考に書いてみたいと思います。

問題の所在

一般に衆議院解散の方法としては2つの方法があるとされている。1つは内閣不信任決議の可決又は信任決議の否決、そしてもう1つは内閣総理大臣による解散権の行使。
これらは当然のごとく思われている(実際みなさんも中学校の公民などでこのように習ったと思います)が、果たして本当に正しいのか。

内閣不信任決議等による場合

この方法の根拠条文ははっきりとしています。憲法第69条です。

第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

よってこの方法は文句なしで正しいといえます。

内閣総理大臣による解散権の行使

これが片山先生曰く、違憲の疑いのある方法なのです。疑いのある、というよりもはや違憲と言い切っても差し支えないかも知れません。以下ではその理由を示していきたいと思います。

根拠とされる条文

根拠とされる条文は憲法第7条です。

第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。(以下略)

つまり、衆議院の解散に関する「内閣の助言と承認」が、解散権と解釈されているようです。

批判論拠①

そもそも第7条は天皇の国事行為に関する形式的規定に過ぎない、とされます。これだけではわかりにくいと思うので、もう少し噛みくだいてみましょう。
まず、第7条各号に掲げられた内容についてはそれぞれ別個に具体的規定が憲法内でなされています。例えば、憲法改正については96条、法律の成立については59条、国会の召集については52〜54条、衆議院総選挙については45条がそれです。
そして、これらの規定に基づいてなされる行為について、天皇の形式的行為を定めたものが第7条であるということです。
この論理でいけば、第7条第3号の衆議院解散は、上記第69条に基づいてなされる行為についての天皇の形式的行為を定めたものにすぎないということになります。
さらに、逆に第7条第3号を直接の根拠とする解散を認めた場合について考えてみると問題は明白になります。すなわち、これを認めた場合、同列に並べられた規定も当然内閣の有する権限と解釈せざるを得ません。しかし、憲法改正が内閣の権限でできるとかというのは誰がどう考えてもおかしな話で、同じように考えれば衆議院の解散もそのような解釈はできない、ということになります。

批判論拠②

ご存じの通り、この日本国憲法が成立したとき、日本はまだGHQの統治の下にありました。その時代、当時の首相吉田茂が7条に基づく解散をしようとしたものの、憲法は69条解散しか認めていないとのGHQの解釈により、わざわざ野党に不信任決議をしてもらってから解散した、という事実があります。一般にこれは「馴れ合い解散」と言われていますが、実質立法者とも言えるGHQが7条解散を否認したとい経緯があります。*1

批判論拠③

民意を直接代表する国会議員の任期を恣意的に短くする行為は、国民主権に反するのではないか、また世論調査等の動向を見て有利な時期を選択できるのは不公平ではないか、などという点も指摘されます。

結論

主に以上の理由を以て、内閣総理大臣による解散権の行使は違憲であると言うことができます。
また、最高裁の判断に関しても、片山先生は、今は当時の時代背景とはまったく異なるから、もう一度争ってみたら結果は変わってくるかも知れない、ということもおっしゃっていました。
どうでしょうか。僕はやはりこのことを知った以上は、法解釈として麻生さんが「しかるべきときに解散を…」なんて言っているのはおかしなことだなぁと思わざるを得ません。
そういうわけで、同じ解散でも、どうせなら今回の不信任決議によった方が、僕の気持ちとしては晴れ晴れとする感じです。
…まぁまだ選挙権ないんですけどね。

*1:にもかかわらず7条解散がこれほどまでに定着してしまったのは、連合国の占領終結後に吉田首相が7条解散をやってのけ、さらにその後の苫米地訴訟において最高裁が「高度の政治性」を理由に違法性の判断を回避したことに起因していると考えられます。