思考嗜好

勉強しててなんとなく大学受験してるときに比べて(勉強中の)時間が経つのが遅いなぁと感じていたんだけども、それはきっと会計士試験の勉強というのはどちらかというと「思考」というよりも「作業」という性質を有しているからだと思った。思考が要求されるのは基本的に管理会計くらいのもんで、あとはほとんどがいかにインプットした知識を正確にアウトプットできるかというだけに過ぎない。(「だけに過ぎない」とはいってもそれが難しいのもまた事実ですが)
大学入試の問題というのは、それに対して、かなり思考を要求する。英国数という3科目は知識のアウトプットだけでは何にもならない科目であって、一部の知識問題を除いては平易な問題であっても思考が必要だった。
そういう意味では管理会計を除く全科目が大学受験における社会みたいな性質を有しているのかなと思う。簿記や租税法などは若干異なるけども、作業の色合いは他の理論科目よりも一層強い。
もちろん理論科目においては単に知識を羅列するのみならず、論理構成・文章構成を考えた上で解答しなくてはならないから、思考が必要ないというのは言い過ぎなのかもしれない。しかし、僕がここでいう「思考」というのは、そういった思考とはまた違う。
理論科目における思考は、単なる知識の整理に使われるのに過ぎない。でも僕がここでいう「思考」は、何かこう、創造的な何かだ。
もちろん、大学入試であっても、その本質は「問いに対する答え」であって、何も創造なんてことはしていないのだけれども、ここまで読めばなんとなくわかるように、「作業」的な勉強よりは明らかに創造的だ。
そして、これは誰もが同意してくれることだと思うが、僕らは作業しているときよりも思考しているときの方が圧倒的に早い時間の流れを感じる。だから、最近勉強してるときの時間の経過が遅く感じるのだろうなあと思う。
そういうわけで僕は最近思考に飢えていた。のだと今思う。僕は最近また英語にはまっている。何故また急にと自分でも思うのだけれども、要するにそういうことだと思う。思考を欲していたんだ。
この数週間は、以前ここで紹介した「ACADEMIC」や、かの伊藤和夫先生著「英語長文読解教室」で読解の感覚を取り戻しつつ、買ったまま放置されていた洋書を引っ張り出して読んでみたりもしている。
なんだかこういうことをしているとだんだん隣の芝が青く見えてくる。文学部、外国語学部。特に、結構思いつきなんだけども、今猛烈に東京外国語大学の受験をしたいと思っている。さすがに、この思いがどんなに燃え上がろうとも今目の前にある敵を倒すまでは浮気はできないのだけれど、いつかは、と思っている。それまでこの思いつきの熱が冷めていないとは思えないけれど。
正直やりたいことはまだまだある。とにかく思考と新知識に飢えている。確率論はもっと深く学びたい。同時に統計も身につけたい。物理学だって中途半端なままだ。
でもやっぱり今自分には最低限やるべきことがあってそれは結構重たいから、他に出来ることと言えばせいぜい一つくらいなもんで、とりあえず今は英語にはまっている。とにかく僕は飽き性だからきっと外大受けたいなんて言ったことも忘れて数週間後には別の勉強をしているかも知れない。
ただ、何をやろうとも、共通の動機としては、とにかく思考を欲しているということだ。そしてこの欲望だけは一生忘れたくないと思う。たとえ性欲を忘れても(仮定法)。