効率ちゃんを弾劾す

なんでこう僕は哲学なんかに興味を持ってしまったのだろうかと思う。生とか死とか善とか悪とか存在とか認識とか、そんなこと考えなくたって生きていけるじゃないの、どうしてこう難しいこと考えるかな。生きていく上で無駄じゃないの?
でも一体無駄って何?逆に有用性とは何?何を以て「意味がある」の?「意味がある」がわからなければ「意味がない」はわからない。「意味がない」と言えないならば…哲学は無駄じゃない?では「意味がある」とは?何を以て?そうしたら結局突き詰めれば「生きるとは?」っていう問いに答えるようなことであって、僕らはどうしても哲学的によく問題となる命題に対していつしか必ず対峙しなければならない時があるのであって、それを大学生の間にしてみるかはたまた生命維持活動に忙殺されそうな社会活動中にしてみるかは各個人の自由だと思うのだけれども、まぁ僕は少なくとも大学生のうちに考えておくべきことは山ほどあると思う。でも結局は僕らはこれらの問題に対しては一生をかけて臨むべきだと思う。あぁ、それにしてもATOKの変換が馬鹿すぎてタイピング大変。
まぁそういうわけで今僕らは何が自分にとって有用なのか、あるいは無駄なのか、そんなことはちっともわからない。「これは自分の人生に必要ない」となんでもかんでも切り捨てて、「効率よく」自らのタスクをこなすことを良しとする人に告ぎたい。お前は何を知っているのか、と。少なくとも僕はまだ何も知らない。何が必要で何が不要であるか、そんな根本的な問題も含めて何も知らない。だから、とりあえずそこにあるものは知っておきたいと思う。そして考えておきたい。「無駄なもの」を容赦なく切り捨てる人に告ぎたい。そもそもお前の存在自体は有意義であるのか、と。「意味があるかないか、ではなくそういう価値は創造するものだ」という答えにあっては、少なくとも現時点における存在の無意味を肯定しているように思える。だとすればそのような存在に無意味なものなどあり得るか。
何も効率性重視を全否定するわけではない。現実問題として、効率性を重視することは重要である。とはいえ、最近の風潮はどこか何か違うと思う。
少なくとも、僕らは効率性を追求する前にその意義を考えなくてはならない。効率性至上主義ではかならず破綻が訪れる。この点、以前id:Plum-08_12さん(勝手に引用させてもらいます、すみません)がリニアモーターカーに関連して鋭い指摘をしていたように思われる。

出張や通勤、通学で利用する人にとっては確かに便利だけど。そんなに便利にしてどうするんだって私は思ってしまいますね。

結局、便利にするとかより人間にとって楽になるとかいうのは、裏を返せば、乗り物を操作する人やその他の人員を増やす必要があるということで、つまりは仕事量が増えて物理的にも精神的にももっとキツくなるということなんですよね。そして、リニアモーターカーを走らせないとやっていけないくらい世の中が忙しくなっているんですよね。ただでさえ過労と言われる時代なのに。もう少しゆとりが持てる社会になれればいいのですがね。

http://d.hatena.ne.jp/Plum-08_12/20091020/1256032138

自分の持ちうる時間を所与として、その中で効率よく作業をこなしていくというのは、ある意味においては非常に重要かも知れない。しかし、これほどまでに効率性偏重の考え方になってきてしまうと、そもそも僕らが持っている時間が所与のものではなく、言い換えれば一日が24時間以上にもなりかねない。いや、一日はあくまで24時間としても、相対的尺度として時間がインフレを起こしかねない。果たしてこれが幸福と言えるのか。言えるのならそれに超したことはない。それをさらに追求していくべきだ。しかしそこまで考えられているのか。
「無駄」の削減、効率化を徹底した結果、人間そのものが無駄として扱われてしまう、というと哲学上の、机上の空論のように聞こえるかも知れないが、たとえばあらゆる作業のオートメーション化によって現実それが起きていることはしっかりと認識しなくてはならない。人間が無駄になりえるのである。人間の効率性の追求によって。そしてそれは今現に起きている。これは果たして僕らの幸福に寄与しているのか?しているのなら問題ない。徹底して欲しい。でも人間が消滅することが人間にとって幸福?そんなことが果たして言えるか?
言えるのなら問題ない。どうぞお好きに。