モラトリアム

社会学的な意味でモラトリアムといえばまさに僕たち大学生なんかも属している期間になるわけだけど、中にはこのモラトリアムという言葉を勘違いしているというか、ねじ曲げて解釈している人間がいる。というかかなり多い。「モラトリアムだから」的な言い訳は聞き飽きた。もう少しまともに生きた方がいい。
ただモラトリアムという言葉にまともに生きない理由を求める人間に対してまともに生きろというのも馬鹿げた話であるので、今回は問題の外に置いておくとして、今回僕はまた別の種類の人間に疑問を抱いている。それは「学生起業家」である。
学生起業家と聞けば「すごいなぁ」というイメージが僕ら一般的な学生にとってはある。自ら社会の荒波に飛び込んで頑張るというのはなかなか普通の人じゃできない。そういう意味では尊敬すべき人間ではある。ただ僕がここで問題視したいのは、彼らが学生であって、モラトリアム中、猶予期間中にあるということだ。要するにモラトリアムのくせに社会に出てどうするんだ、という話。早ければいいのか?と僕は思う。せっかく大学生なのに、そんなに実務経験を急いでどうするんだろうと思う。実践というのは必ず理論の上に成り立っているわけで、その理論なくして実践は有り得ない。そしてその理論を学ぶのがモラトリアムなのではないか、と。しっかりそうやって土台を築いていかなければ本当の成功なんてものはないと僕個人は思っている。
それから僕個人としては、ただのプロではだめだという思いがある。つまり、自分の専門ばっかり詳しくて他のことは何も知りませんというのでは人間として貧しすぎるのではないか、と。もちろん世の中には何の特徴もないような人もいるわけで、それに比べたら何かしらのプロである時点で十分立派なわけだけども、それだけでも実際はかっこよくはないよ、と。自分の専門分野以外のこともいろいろ教養として身につけておかないと実際かっこわるいと思う。
だから早くから経営というものをやれば確かに経営に関してはプロになれるかもしれないけど、それを支えるべき周りの部分が疎かになってしまうのではないかと思うわけです。そうならないためにも、やはり大学生は大学生らしくいろいろなことに興味をもって勉強するのが一番良いと思うのです。もちろん起業というのもそのうちの一つとも考えられますが、やはりなるべく学生のうちでしか、猶予期間中でしかなかなかできないような勉強をするべきだと思うのです。例えば自分が生きていく上で何に役立つかわからないようなことを。
学生起業家の人たちの向上心っていうのはたぶん僕なんかの何倍もすごくて、人間としても立派な人が多いと思うのですが、なんというか僕としては大学生は大学生なりに机に向かっていればいいのになぁ、と思うわけです。