本より人

 最近思うのだけど、本を読むよりも人と話す方がよっぽど自分の糧になる。知識の幅にしても人としての心の豊かさにしても。しかし予めある程度の見識を持っていないと同じ人からでも引き出せる話題が限られてしまう。そういう意味で読書も会話に負けず劣らず大事だ。ただ敢えて甲乙つけるのであればやはり大事なのは会話なんだろうと思う。


 僕は常々「教養人になりたい」ということを言っているけど、これは決して単に「知識人になりたい」というのとは違う。僕はこれを区別した上で教養人になりたいというふうに思っている。知識人というのはそのまま知識を有する人であって、教養人というのもそのまま教養を有する人である。問題は「知識」と「教養」の違いなんだけども、ものすごく簡単に言ってしまえば「教養」というのは「幅広い知識から得られる心の豊かさ」である。つまり僕からすれば単に知識人というのは物知り博士に過ぎない存在で、そこからもう一歩踏み込んだところに教養人という存在がある。


 話を戻して、読書と会話にそれぞれ一つずつ役割を持たせるとしたら、読書は知識、会話は心の豊かさだと思う。もちろんどちらにしても一義的なものではなくて、読書からも心の豊かさは得られるし、会話からも知識は得られる。ただ、どちらの方が強いか、という僕のイメージからすると、そういうことになる。


 結局読書というのは、ショウペンハウエルの言葉を借りれば「他人の思考をなぞっている」に過ぎないのであって、重要なのは自分自身で思考することである。そして自分自身であれこれ考えたときにこそ心の豊かさは得られるのであって、ただ本を漫然と読んでいただけでは知識は得られど心は潤わない。しかし会話となれば自分で思考しながら発話せざるを得ないし、さらに相手の発言に対してもその場で思考して切り返すということになるから、そういう意味で、読書に比べて心の豊かさを得やすいと思っている。


 そして何よりも人と会って話すことは楽しい。読書も楽しいけど、その楽しいとは明らかに質が異なるというか、わくわくいきいきする。その感情の高まりのようなものこそが自分の心の豊かさというか人間らしさのようなものをかたちづくっていっているように思える。
 単なる頭でっかちにはなりたくない。