無題

独り言です。見ない方がいいです。
ほら、やっぱり「続きを読む」押しちゃいますよね。僕もこのようなフリのあとの「続きを読む」押さなかったことないですもん。禁じられた遊びほど燃えるのと同じ理論なんですかね。やれっていえばやらないし、やるなといえばやる。これが常。そうか、ってことは受験生にも「勉強なんかするな!絶対するなよー…っ!なっ!(チラッ)絶対勉強なんかするなよ!(チラッ)」みたいに言えばめちゃくちゃ勉強するんですかねー。そんなことないか。
さて、まぁやっぱり「続きを読む」は押してしまいますよね。見ない方がいいと言われているのに、あえて不幸を選ぶのはなぜでしょうか。結果として不幸にならなくても、「不幸になります」という標識のある道へ進むのはなぜでしょう。
なぜかどうかはわかりませんが、でも少なくとも、僕はそれが禁じられたことだからといっていけないことかといえば決してそんなことはなく(当たり前か)、むしろ正解の行動だと思います。そもそもブログっていうのは少なからず誰かしら読者を想定して書いているのであって、そうでなければ(ただの備忘録的な何かであれば)、書く必要はないし書いていても(はてダでいえば)プライベート設定にするなどいくらでも方法はあるわけで。そのような中で書かれた記事というのは、たとえ不幸の標識を掲げていても、結局は誰かしらに読んでもらいたいのであって、その標識を無視することは消極的に肯定されるどころか積極的に肯定されるものなわけです。
一人一人がブログというメディアを所持すると言うことは自己顕示欲の表れであって、そのメディアに「見ないでください」などと示すのは大好きで大好きでたまらない彼氏に「だいきらい><」というのと何ら変わらないように思うのです。
誰しもが「ブログは見て当然」という前提を無意識にでも持っていますから、そのような標識は読者に違和感を与えるし、その違和感は興味、言い換えるならば愛情にも発展しうるのです。
しかも、もちろん発信者はこのような効果もわかっているわけで、いやよいやよも好きのうち理論が適用されるのです。要するにいやといいつつも読んでもらいたいのは変わらないし、むしろいつも以上です、と。
そう考えると、「続きを読む」のクリックは発信者に対する愛撫に他ならないのです。