真の情熱はエゴイストである。

僕は今日、初めて、彼女に対して激怒した。いや、今なお僕の憤りは収まらない。会ったわけではない。メールのやりとりで僕は彼女に初めて、一切のいたわり・思いやりのない言葉を連ねて送りつけた。
具体的な内容を書くのはよそう。ただ、僕は彼女からこの3年以上の付き合いの中で初めての、そしてもしかすると僕の人生の中で最大の屈辱を受けたとはっきり認識した。
決して僕は悪くない。かつて彼女と言い争いになったときはいつでも、少しでも自分に非があると思ったら謝ってきた。しかし今回は、今回ばかりは僕は本当に何もしていない。何も悪くない。あるとすれば、「怒ってしまったこと」。
僕に怒る権利はないのか。僕は喧嘩が嫌いだし、相手が怒っているときにこっちも激情しては収拾がつかなくなってしまうから僕は本当の意味で怒ったことは彼女との付き合いの中では一切ない。いつも僕は責められてばかりだったような気がする。僕に怒る権利はないのか。
今日の僕の彼女に対する思いやりと言えば、怒りにまかせて議論を進めなかったことくらいかな。なんたってこれまで言い争いは何度もあったけど、「別れる」っていう単語が出てきたのは今回が初めてなんだから。今何を決しても後悔してしまいそうだからとりあえず冷静になりたい。
それにしても僕の感情もここまで高ぶるものだったのか。いやそれもそうだ。僕だって人間だ。それも要らないプライドを馬鹿みたいに抱えている人間だ。
あぁ、僕は別れるのだろうか。恥ずかしい話、結婚するとまで思ったこの人と、僕はこれを機に別れてしまうのだろうか。まだわからない。でも正直僕の心は固まってしまっているのかも知れない。別れたい、と。でも僕は彼女に結婚しようと言った。本当に恥ずかしい話だ。でも本気だった。だけど今ここで別れてしまったら、僕は嘘をついたことになるのか。僕は嘘つきにはなりたくない。小さな嘘なら人一倍ついてきた。そんな僕が「嘘つきになりたくない」だなんて神様も失笑ものかもしれない。だけどこんな大きな嘘は、少なくとも僕にとってこんなにも大きな嘘はだめだ。そういう気持ちが今感情だけで思考している僕の別れたい願望に対するストッパーとなっている。
ほら、見てみろ。今僕が連ねた言葉の中に一つでも彼女を思いやる気持ちがあったか。ない。ない。ないんだ。要するにこういうことなんだ。
僕はいつも心に余裕を持たせて、必死にあがいている人間を少し高いところから見下ろして、いや見下していたのかも知れない、しかしいずれにしても僕はそうやって同輩や後輩、時折先輩からも「頼りになる人間」として扱われてきた。「俺は他人を思う余裕があるから」。
だが、見てみろ。自分のこの利己心の究極ともいえる思考を。
いやしかし、こんな時分に相手のことなど思いやることができようか。いやそれは愚問だ。こんな時だからこそ自分のことだけ考えればいいんだ。これは俺の人生なんだから。
周囲は驚くだろうな、僕らがもし別れるなんてことがあったら。だって僕自身、今その危機に立たされているというだけで驚いているから。双方の親だって、つい最近まで本当に仲の良い姿を見ていたものだから、急にそんなことがあったら驚くだろうな。でも別れって言うのはそういうもんでしょ。いやしかしわかっていても急すぎるか。
でもそんなことはどうでもいい、この際。問題は自分にとって何が最良の選択か、だ。もはやここまで書いて僕はだいぶ冷静を取り戻してきている。今は別れると別れないは中立的だ。とはいえやはりまだ冷静さは取り戻しきれていないかもしれない。僕が一番冷静な時は「別れる」という言葉を知らないから。言いようによってはそれはそれでまた別の意味で冷静を失っているのかもしれないけど、とにかく僕にとってはそれが平静であった。
本当にこれほどまでにプライベートなことを書いてしまって申し訳ないと思っている。いや、申し訳ないとは思っていないかも知れないごめんなさい小さな嘘つきました。ただ、後で見たら死にたくなるほど恥ずかしいんだろうな。
ただ、ここまで書けば昨日一昨日の記事の真意がわかっていただけると思う。
こんな駄文をここまで読んでくださった方、ありがとうございました。