とるにたらない箇条書き

・ 今年の大学入試の(個人的)総括。昨今の大学入試では「少子化」「ゆとり」「不況」なんかがキーワードになってるけど、今年はそれが如実に顕れたなぁという印象。こんな言い方は失礼だけど、はっきりいって成績の推移なんかからして受かるはずもないような子が平気で早慶上智受かってる。もちろん毎年そういうラッキーパンチは一人や二人当たるのだけど、それにしても今年は多かったなぁというような印象がある。国公立を含めても「彼のような成績であそこの大学に受かるような時代か」などという話が職員室では飛び交う。そういう意味では今年の入試は結構荒れていた。これが今年に限った傾向であれば、それはそれでいいんだけど、これが慢性化、というか、要するにいわゆる最難関といわれる大学も含めて全体のレベルが落ちていってしまったら残念だなぁという危惧を抱いている。もちろん自分たちの世代だってゆとり世代まっただ中で、自分も含めた早慶の学生のレベルは昔の早慶の学生のレベルに比べたらかなり劣るかも知れない。というか劣っているだろう。でもそれだけに、そんな自分たちから見ても目に見えるほどレベルが低下してしまうなんて悲しすぎる。日本の未来はWOW WOWとか言っている場合じゃない(古い)。
  「ゆとり」なんていう一言で片付けられるのは本当に嫌だ。ゆとり世代の一人として「ゆとり」って言われるのは本当に嫌だ。それは馬鹿にされるのが嫌だというよりも、そういう自意識があって、危機感を抱いているから、そして自分の力ではどうにもできないから、その無力感というか将来に対する閉塞感というか、そんなものに満たされてしまうから、「ゆとり」という言葉が嫌いだ。


・ 今週ゼミ選考がある関係で、少しくらい面接対策しておこうかなと思い立って、就活用の面接対策本などを読んでみたりしている。典型的な質問と、その質問の意図(ねらい)、そしてそれに対する答えのポイントなどをまとめてるやつ。うん、まぁ、なるほどなぁ、と思いながらざっと読んでみたけど、就活生はこんなにたくさん対策をしなければならないのか、と改めてその大変さを感じ取った。
  会計士試験の勉強をここまででもう2年弱してきたわけだけど、よく友人には「大変だね」とか「偉いね」とか言われて、まぁ実際大変なことはいっぱいあるけども、正直普通に大学生活過ごした後に就活する方がよっぽど大変なんじゃないかと思った。会計士試験の勉強はそれはそれで大変だけど、会計士の監査法人への就活は、それほど大変ではないと聞く。もっとも、昨今では会計士も就職率低下しているし、実は会計士の就活状況などはまだそこまで詳しく調べていないからはっきりとしたことは言えないのだけど、でも普通に考えて一般企業に比べて監査法人の就職なんて母集団が限られている上に毎年しっかりごっそり採用するわけだから(その数自体は減少傾向にあるけど)、やっぱり就活自体は一般企業のそれに比べたらだいぶ楽なんじゃないか、というのが今のところの見解。もちろん、その限られた母集団に自分が入り込む(=試験をパスする)のが難しいわけだけども、就活の不確定要素に比べたら試験の不確定要素の方が限られてるような気はするし。
  まぁ、はっきりいって、こんなものはどこまでいっても個々の主観の話だから、僕自身は会計士試験を目指すことはある程度のリスクをとってると同時にそれ以上のリスクヘッジにもなっているんじゃないか、って思っています。まぁ、一発で受かれば、の話ですけどね。


・ 僕はやっぱり富樫先生の作風が好きみたいです。幽白にしてもH×Hにしても、あの戦闘における残忍さというか残酷さというか、キャラクターを通してひしひしと危機感、絶望感が伝わってくる感じがものすごく好きです。敢えて対比すると、ワンピースの戦闘シーンはゾクゾクしないというか、ちょっと退屈かなぁ、という印象。もちろんそれは尾田先生の信条に由来する作風である(と聞いた)し、それ以上にストーリー展開がおもしろいのでワンピース自体はこれも大好きになりましたけどね。
  まぁ、今回の漫画いっぱい読むぜキャンペーン実施前から唯一幽白だけはめちゃくちゃ読み込んで語れる漫画だったということもありますけどね。


・ いまさらながらすかいぷ始めました。すかいぷつなぎながらネット麻雀とかネト充すぎる。


・ 最近blogの更新の仕方を思い出しつつある。


・ 世の中は大きく勝者と敗者に分けられると思う。何を以て「勝ち」で何を以て「負け」とするかはいくらでも切り口があると思うんだけども、いずれにせよ、何らかの意味において、勝者と敗者は必ず存在する。自分が勝者であるか、敗者であるか、というのは究極的に主観的な世界だけれども、いずれにしても、勝者は勝者の論理で語るし、敗者は敗者の論理で語る。たとえ「相手の立場で」考えようと思ったって、それは自分の立場から見た相手の立場であって、そこで語られる論理は結局は当初の自分の立場での論理にすぎない。「相手の立場で」なんていうのは、"if I were you"、仮定法の世界、反実の世界でしかない。
  世の中は大きく勝者と敗者に分けられる。そして、世の中は間違いなく、勝者の手によって動かされる。世の中で通用するのは勝者の論理だけだ。まぁ、「勝てば官軍」という言葉にもこれは顕れているんじゃないかな。それが良いことか悪いことかは別として、とにかく発言権は常に勝者にしかなくて、敗者にはない。敗者にとって可能なのは、勝者に"if I were you"を唱えてもらうことくらいだ。結局は、勝者の論理におさめられていくしかない。
  それが良いことか悪いかは別として、と言ったが、僕はこんな世界も悪くないと思っている。それは、自分が勝者の論理で考えているからかもしれない。これ以上この話をするのは、やめよう。勝ち負けというのは客観的なルールがあればこそ気持ちよく成り立つもので、こんな主観的な勝ち負けは自分がどっちであろうと、論じていて胸糞悪い。ただ、意味もなく書いたわけではなくて、これは本当に真実だと確信している。そして僕は死ぬまで勝者でいるつもり。